山本浩貴(いぬのせなか座)『新たな距離』その1 私は転生しない

山本浩貴(いぬのせなか座)『新たな距離』(フィルムアート社、2024)を読んでまず考えたのは反復についてだった。次に考えたのが、フロイト-ラカンのことだった。繋がるかわからないが、下記になぜそのように考えたかを書いてみる。 本書は小説論≒制作論で…

『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意志の彼方へ』と『大江健三郎 江藤淳 全対話』

前々回、スーザン・ソンタグがナン・ゴールディンと荒木経惟について言及したと書いた。 jisuinigate.hatenablog.com 友人から、それは『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意志の彼方へ』(2006)という追悼シンポジウムをまとめた本に書いてるは…

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」

先日、国立西洋美術館で「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」を見てきた。副題に「国立西洋美術館65年目の自問 現代美術家たちへの問いかけ」とあるように、1959年の西洋美術館開館以来初となる現代美術展である。 気づけば2012年…

ローラ・ポイトラス『美と殺戮のすべて』

『美と殺戮のすべて』 サービスデーだったので有楽町でローラ・ポイトラス『美と殺戮のすべて』(2022)を見てきた。 ナン・ゴールディンには、荒木経惟的な「私写真」のひとという雑なイメージしか持っておらず、ほとんど興味がなかったのだが(どちらかと…

ローラ・マルヴィ「視覚的快楽と物語映画」

ローラ・マルヴィ「視覚的快楽と物語映画」(斉藤綾子訳、1975、『新映画理論集成1歴史/人種/ジェンダー』所収)を読んだ。*1 エリザベス・ライトが批判していたので、ちゃんと読んでみようと思って手に取ったのだが、近年の表象批判の起源の一つでもあり…

ゲイル・ルービン「女たちによる交通」

「実際、彼は書かなかったか? 権力と女たちの所有、余暇と女たちの楽しみを? 彼は書いている。お前は通貨だと。交換の項目だと。彼は書いている。物々交換、物々交換、女たちと商品の所有と獲得。誰でも手に入れることができる生を生きるより、お前はお魔…

木庭顕『ローマ法案内』その3 交換関係と自由について

木庭『ローマ法案内』で(私が理解できた範囲で)一番重要と思われたのが、交換関係と「自由」についての洞察だった。 木庭は人間の活動にとって、具体的な空間、特に土地、テリトリーが欠かせないことに注目する。テリトリーの上で経済活動も行われ、その「…

マキャヴェッリ「マンドラーゴラ」

「マンドラーゴラ」(脇功訳、『マキャヴェッリ全集4』所収)を読んだ。マキャヴェッリの喜劇である。キャラが立っていてセリフも気が利いていて筋も意外に読ませるものがある慣れた筆致なのだが、その全体的な印象は珍妙。木庭顕が「政治的階層の堕落批判…

木庭顕『ローマ法案内』その2

木庭顕『ローマ法案内』からの引用。「カルト集団の政治浸透について : 若干の問題整理」(『法律時報』2022年11月)を読む上で役立ちそうなところ。 「以上のように、都市は神々という概念を巧妙に使って実現された。この点はしばしば、ギリシャ・ローマの…

『ルジャンドルとの対話』

ピエール・ルジャンドル『ルジャンドルとの対話』(聞き手フィリップ・プティ、森元庸介訳、みすず書房、2010)を読んだ。 ルジャンドルは「ドグマ」と言う「呪われた語彙、理解されなくなった語彙」を蘇生させた。その由来であるギリシャ語の「ドクサ」は見…

木庭顕『ローマ法案内』

2010年の羽鳥書店版。「君がいきなり街中で或る男から「お前は私の奴隷ではないか」」と言われ捕らえられるという想定から始まるのが、可笑しい。 「自由に関する限り、十二表法に少なくとも根を持つもつ一つの大きな制度が存在する。君がいきなり街中で或る…

エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』その2

「フェミニズムにとって精神分析の理論的に重要な核心部分とは、いまではほとんど決まり文句になってしまっているが、性的差異が文化的なものに還元できないのと同様に、性的アイデンティティが生殖器だけで決定されるわけではないという主張である」(エリザ…

エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』

エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』を読んだ。 竹村和子の解説を先に読み、問題提起的であるものの、そのラカン解釈に違和感があった。ライトによる本文を読んだが、竹村とライトの間でも解釈の違いがあるように思った。 解説で注目すべきは…

カデール・アティア 《記憶を映して》(2016)

国際芸術祭「あいち2022」に行ってきた。と言っても、時間的都合から愛知芸術文化センターと一宮市会場の一部しか見られなかった。 わたしが見た中で最も印象的な作品だったのが、カデール・アティア Kader Attiaの《記憶を映して reflecting memory》(2016…

PARAレクチャー・福尾匠「なぜ制作だけでなく作品があるのか」感想(というほどではないメモ)

神保町で福尾匠さんのレクチャー「なぜ制作だけでなく作品があるのか」を聞いてきた。PARA「作品とは何か」レクチャーコースの第一回だという。90分とは思えないほど充実した内容だった。 あいちトリエンナーレ2019をインスタレーションの問題として考えるこ…

「影をしたためる」

9月11日。渋谷のbiscuit galleryにて「影をしたためる notes of shadows」(松江李穂キュレーション)を見てきた。美術作家の菊谷達史、前田春日美による二人展である。 ※三人のインタビュー https://bijutsutecho.com/magazine/interview/oil/26027#.YybTgVVF…

イヴォ・ヴァン・ホーヴェ『ガラスの動物園』

「『ガラスの動物園』で私が見出したのは、はっきりしたヒロイズムのない世界、壊れやすい登場人物たちが住んでいる世界です」(ホーヴェ) 新国立劇場(中劇場)で、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『ガラスの動物園』を見た(初日)。 ホーヴェのことはよく知ら…

シネマヴェーラ/フォード特集『周遊する蒸気船』(1935)

シネマヴェーラでジョン・フォード『周遊する蒸気船』(1935)を見てきた。 上映前には蓮實重彦氏のトークが20分ほどあった。『周遊する蒸気船』には二人の「インディアン」がかかわっているという。もちろん「インディアン」という名称は現在使うことのできな…

ハル・フォスター『What Comes After Farce?』(2020)を読む4

第一部「恐怖と侵犯」の末尾におかれた第6章のポール・チャン論を見てみよう。 Paul Chan《Rhi Anima》 2017年3月、チャンはニューヨークの個展で《Rhi Anima》を発表した。https://www.artnet.com/galleries/greene-naftali-gallery/paul-chan-rhi-anima/ …

Martha Rosler Reads Vogue(1982)

北千住BOuy「Bedtime for Democracy」( https://buoy.or.jp/program/bedtime-for-democracy/ )にて、マーサ・ロスラー《マーサ・ロスラー、ヴォーグを読む Martha Rosler Reads Vogue》(1982)を見てきた。 1981年に設立されたニューヨークのケーブルチャ…

ハル・フォスター『What Comes After Farce?』(2020)を読む3

フォスターは本書の序盤で2011-12年のMoMA PS1の展覧会「September 11」に触れ、「今日の美術鑑賞のモードは情動的なものと化している」と指摘している。フォスターによれば、カントは「作品は美しいか」という古代からの問いを立て、デュシャンが「作品は芸…

ハル・フォスター『What Comes After Farce?』(2020)を読む2

フォスターはトランピズムの分析にあたって、ペーター・スローターダイクの『シニカル理性批判』(1983)を取り上げる(「第5章 原父トランプ(pere Trump)」)。 フォスターはここで参照していないが、『シニカル理性批判』が手元にないので、ジジェク『イ…

ハル・フォスター『What Comes After Farce?』(2020)を読む1

ハル・フォスターはマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』に記した次の有名な一説を引用から始めている。 「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一…