イヴォ・ヴァン・ホーヴェ『ガラスの動物園』

「『ガラスの動物園』で私が見出したのは、はっきりしたヒロイズムのない世界、壊れやすい登場人物たちが住んでいる世界です」(ホーヴェ)

 

 新国立劇場(中劇場)で、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『ガラスの動物園』を見た(初日)。

 

 ホーヴェのことはよく知らずイザベル・ユペール主演ということで見てきた。

 

 ステージは長方形のボックスのようになっていて、上の部分に字幕が表示される。大きい冷蔵庫だけがピンクであとは茶色い。土のような毛のような柔らかそうな素材。穴蔵のような空間だ。窓と階段を登ったところにドアがある。台所はあるもののダイニングテーブルはない。異様であるが、観劇中は気にならなかった。

 

ガラスの動物園』はトム(アントワーヌ・レナール)の回想という形式を取っている。幕が上がる前、客席からのトムが登場して手品を見せる。

 

「手品師は真実と見せかけた幻想をつくりだしますが、ぼくは楽しい幻想な装われた真実をお見せします」(小田島雄志訳、新潮文庫)

「ぼくはこの劇の語り手です、そしてまた登場人物の一人にもなります。

 ほかの人物は、母のアマンダと、姉のローラ、それにもう一人、劇の後半に訪ねてくる青年紳士(ジム)がいます。

 この紳士は劇中もっともリアリスティックな人物です、彼はぼくたち一家がどういうわけか切り離されてしまった現実世界からの使者だからです」(セリフの引用は新潮文庫小田島雄志訳による)

 

 たしか字幕ではぼくたち家族は感傷的で、ジムはリアリズムと訳されていた。アマンダ(イザベル・ユペール)とローラ(ジュスティーヌ・バシュレ)、トムの家族はそれぞれが「追憶」の中で生きている。先に述べたようにこの劇自体トムの回想であり、アマンダは幸福な南部時代の思い出を引きずり、ローラは「ガラスの動物園」のうちに閉じこもる。現実にはトムの父は蒸発し、姉のローラは内気な性格のためビジネススクールを脱落、トムも詩を書きながら倉庫の仕事に従事している。トムの同僚のジム(シリル・ゲイユ)にしても、高校時代は人気者だったが、いまは単なる労働者。夜学でラジオ工学と弁論術を学んでいる。 

 

 アマンダは子どもたちの将来が心配で、とくにローラの結婚相手をなんとかして見つけなければと奮闘している。トムの同僚のジムを家に誘うことになる。ジムはじつはローラの高校の同級生で好きだったというが、じつは……という筋立てだ。かなり辛気臭い話である。

 

 まず、ユペール演じるアマンダのテンションがすごい。子どもたちを愛し、現実から見放されても果敢に挑戦していく。ホーヴェのインタビューによるとアマンダは「弱さ」が強調されすぎると「戯画的で滑稽な人物になってしまう」。だから、「私はいつもアマンダのことを、とてつもなく回復力を持っている女性として話しました。彼女は灰から蘇るフェニックスなのです」。ユペールのアマンダは絶妙に痛々しい(が魅力もある)母親として演じられていて、「こういう人いるよなあ」と思いつつ、その迫力に打たれた。

 

トム 母さんは胸のなかに言いようのないつらい思いがいっぱいあるって言ったね。ぼくもそうなんだよ。ぼくの胸にも言いようのないつらい思いがいっぱいある! だからおたがいに胸の秘密をーー

アマンダ でもどうしてーーどうして、トムーーいつもそんなに落ちつきがないの? どこへ行くの、毎晩?

 

 ここのアマンダとトムのやりとりの場面、字幕では「どうして自分の気持ちがうまく伝えらないんだろう」というような言葉になっていて、非常によかった。

 ちなみにトムは毎晩映画館に行っているという。冒険が好きだからだ、というがゲイであるという解釈がいまでは一般的らしい。

 

 ローラ役のバシュレもとても良かった。ローラはやたらと毛布にくるまって横たわっていて、ほとんど家と一体化している。てっきりアマンダやトムの舞台として見ていたのだが、ジムが登場し、「ブルーロージィー(青い薔薇)」という彼女の高校時代のあだ名を思い出してから、二人が語り合い、内心を打ち明け、ダンスを踊ったりする場面には引き込まれた。 

 

 ガラスの動物園とは、ローラが子どもの頃から大事にしているガラスの馬やユニコーンのこと。彼女の世界のすべてだ。アマンダやトムは「ひどいはにかみ屋で自分だけの世界に閉じこもっている」ように見えているが、ジムはそれとは異なるローラの「美しさ」に気づく。次の引用はジムのセリフだ。

 

「きみとこうしているとぼくは、そのうーーどう言えばいいかな!

 いつとならいいことばが出てくるものなんだがーー

 この気持ちだけはどうもうまい言いかたが見つからない!」

「いままでだれか、きみのこと美しいと言った人いる?」

 

 観劇後に戯曲を読んで驚いたのが、舞台との印象の違いだ。この場面はとくにそうで、戯曲を読むとジムがそれこそ「弁論術」を使っているようにも読めるのだが、舞台ではまったく異なって、ジムが本心からそう言っているように感じた。

 

「ああ、ローラ、ローラ、ぼくは姉さんをきっぱり捨てようとした、そのつもりだったのにどうしても姉さんのことが胸を離れないんだ!」

 

 観劇後は上のトムのセリフのようにローラのことで頭がいっぱいになって、これが俳優や演技の力なのかと感じ入った舞台だった。ほとんど「よかった」としか言っていないのだが、感想なのでよしとしたい。