『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意志の彼方へ』と『大江健三郎 江藤淳 全対話』

前々回、スーザン・ソンタグがナン・ゴールディンと荒木経惟について言及したと書いた。

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友人から、それは『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意志の彼方へ』(2006)という追悼シンポジウムをまとめた本に書いてるはずだと教えてもらった。

取り寄せてみると確かに昔立ち読みした赤い本とはこの本だった。該当箇所である浅田彰の発言を引用する。

「その後、アニー・リボヴィッツが来て、ちょっと写真のことも話しました。アラーキーこと荒木経惟について、僕が「キモノ姿の女をSM風に縛ったりしたアラーキーの写真が西洋で異常に受けているけれども、これは日本に性的アナーキーを期待する西洋のオリエンタリズムの視線に媚びる低劣なマーケティング戦略の成果であって、あんな写真はゴミ以外の何者でもない」と言い、スーザン・ソンタグは「もうちょっと冷静に判断したいけれど、わからなくもない気がする」というようなことを言った。

 そこでアニー・リボヴィッツが、「じゃあナン・ゴールディンはどうかしら?」と。彼女は、ナン・ゴールディンは、自分がその一員であるような性的マイノリティのコミュニティの中で彼らの姿を撮っているので、ナイーヴかもしれないけれどそこには何かしら真実性があると思う、と言った。スーザン・ソンタグは「それはわかるけれども、ナイーフ(素朴派)とフォー・ナイーフ(偽の素朴派)というのは、本当に区別が難しいから」と言って、議論になった……。」

私の記憶では真実性を含む「ナイーフ」なものとしてナン・ゴールディンの作品が挙げられ、素朴を装ったカマトトめいた「フォー・ナイーフ」なものとして荒木経惟の作品が批判されていると思っていたが、これを読むとソンタグはどちらについても判断を留保し、議論を続けていることがわかる。浅田にとってソンタグは常に自身の論理と経験を手放さずに議論できる「貴重な話し相手」だったことを示すエピソードとして話されていた*1

浅田はこのシンポジウムで「サルトルを失ったあとのフランスというような感じを、ソンタグを失ったあとのアメリカに感じる」とまで言う。モラリスティックなようでいて、流行のレストランに行きたがる筋金入りのスノッブでもある*2。単なる優秀なアカデミシャンでもなく、消費社会に埋没する作家でもない。ドグマティックな理論で現実を裁断する理論家・批評家ではなく、あくまで「作家であり、文人」だった。「スーザン・ソンタグは最初から最後まで一貫していたーーただし一貫してアンビギュアスだった。そのアンビギュイティゆえに、あれほどの豊かな作品を生みだしてきたんだということを、強調しておきたいと思います」(48頁)。

※※※

話は変わるが、ナイーブで、アンビギュアスといえば大江健三郎である。ソンタグとの往復書簡もあるが(『暴力に逆らって書く』)が、それはともかく、『大江健三郎 江藤淳 全対話』(中央公論新社、2024)を読んだ。

一九六〇年、一九六五年、一九六八年、一九七〇年の対談が収録されている。

作家と批評家の間でここまで真剣な対話が成り立っていたのかと改めて驚く。まさに互いが「貴重な話し相手」だったのだろう。当然のように互いが互いの本を読み、問題意識を共有し、というより、共有しているかのようにお互いを信じている。安保のデモについて、『個人的体験』の結末について、明治維新と戦後文学について、『万延元年のフットボール』の登場人物の命名について、何のために書くかについて、羽田事件について、漱石について*3、子規と虚子について……無数の話題を巡って議論を重ねるも、互いの資質や興味関心のズレや歪みは年を経るごとに大きくなっていく。

興味深い論点はさまざまにあるのだが*4、小説家の論理と批評家の生理の差異が顕になるのがスリリングである。

江藤は、時評の経験から、作家が「小説という形式」を信じすぎていると批判する。

「小説をひとわたり読んでみて、小説という形式が実に簡単に信じられているのには驚いた。小説のフォルム、そういうものにあわせてつくろうという気持がとても強い。小説らしい小説をつくること、それはどんな小説のジャンルにもある。(中略)実際うまい。でもばかばかしいと思いますよ、そういううまさは。小説というものをそう簡単に信用しちゃって小説が書けるのかと思う。何か言いたいことがあるから小説を書くわけで、それが根本でしょう。近代の文学というものはそういうものなんです。けれども、何か言いたいことがあるから書くのじゃなくて、小説というかたちに当てはめるために書いているようなのがとても多い。」(54頁)

これを受けて、大江は「小説という形式を信頼しすぎるという弊害」を反省したりもある*5

一方で、大江も言われっぱなしというわけではない。特に一九六八年の『万延元年』をめぐる対話では、激しい言葉が応酬される。

中心となるのは、何のために書くのか、である。

「大江 ぼくにとっては、自分自身が現実とどうかかわってどのように生きるているかということを、あらためて自分の内部にもぐりこんで小説の上で確かめることですね。

 江藤 そのことに普遍性があると思っているのでしょう。

 大江 そういうかたちの発想はしない。

 江藤 それではぼくなり他の読者があなたが現実とどうかかわってどう生きているか ということにどうして関心を持たなければならぬのですか。

 大江 あなたのいうような意味で関心を持っていただかなくてもいい。」(94-95頁)

大江は江藤の連載中の『一族再会』や『アメリカと私』を厳しく批判する。

「大江 しかし、実のところあなたの他者は、「日本と私」に出てくる大家にしても、宿の女中にしても、お父さんにしても、それを読んでみると、小説家の水準からみればいかにも他者性の稀薄なものです。江藤さんの恣意的な一面、江藤さんが大家なら大家の一面を恣意的にとり出して自己閉鎖的な感想を述べたにすぎない。そこで、あれらの作品に客観性が稀薄だと、単なる詠嘆の羅列に過ぎないところが多すぎるという感じをぼくは持っています。(中略)

 むしろ江藤さんのメンタリティにとって他者というものは幻みたいなもので、許容するという自分の態度こそが問題なんです。小説家は、許容するとか否定するとかいうことの前にまずほんとうの他者というものをつくりあげようとします。」(104頁)

のちの江藤の仕事全体への批評にもなっている。『妻と私』など常に「私」にとっての「他者」しか江藤は問題にできなかった。

ナン・ゴールディンやスーザン・ソンタグからあまりに離れしまった。ただ「何のために書くのか」「文学者は政治にどうコミットするか」について真剣に考えている二人と、ゴールディンの芸術=活動、そしてサラエヴォベケットを上演し戦争の現実にコミットするソンタグとの距離は、一体どれくらい離れているのだろうか。

「大江 ぼくら小説家の場合でもそうで、小説を書くことは、結局生きて現実生活で何もできないということをつくづく知り尽くしているわけだけれども、しかもなお暮夜ひそかに生きて考えていると、暗黒というか絶望感がだんだん強くなってくる。それを飛び越えないと生きていけない。そこで飛び越えようとする手がかりがぼくにとっては、小説なんです。だから飛び越える前には小説を書いた後で何ができ上がるかわかりはしない。」(125頁)

「江藤 小説を書いて自分を救うということは、それが世間に認められるという次元にとどまる話なら要するに一種の悪循環だと思う。小説とか文学とかいうものはそれほど大したものじゃない。それだけで人を救えはしない。ほんとうにリフトアップする小説は、そういう限界を知った人の書いた小説でしょう。自分を救うとともに自分の傍にいる者を救うことにならなければいけない。」(126頁)

無力に抗することを介して、書くことと政治にコミットすることがつながる。ソンタグ、ゴールディンと江藤、大江の距離は、案外近いのかもしれない。

*1:余談だが、最近の浅田彰の発言がつまらないのは、ソンタグ坂本龍一はじめ「貴重な話し相手」がいなくなったからではないか。ウクライナ戦争勃発時の「逃げろ」発言やアイデンティティ・ポリティクスより階級政治を、というマーク・リラ+マルクス風味のような発言など凡庸極まりない。浅田彰でなくても言えるだろう。

*2:どうでもいいけど、シンポジウムでもソンタグと京都の高級割烹「千花」に何度も行ったという証言があった。たしかべらぼうに高い店のはず。

*3:江藤が明治時代に「天皇制」なんてものはない。単に「明治天皇というすぐれた君主がおられただけ」と言い、大江が「漱石が死んで、天皇が現れるのかもしれませんが……」と返している。問題となるのは『こころ』である。

*4:メモとして列挙する。大江の二葉亭四迷への関心。明治維新と戦後文学の重ね合わせ。『細雪』が歴史小説であるという折口信夫説。戦後のジャーナリズムの発達により、文学者の「浮かばれない時代」がなくなったという現象=谷崎潤一郎永井荷風森鴎外も「戦前のたいていの作家は十年くらい書くとしばらく活躍しなかった」のにそれがなくなった。など

*5:大江の「観察力のある作家とそうでない作家」という問題も興味深い。「日本の戦後文学の歴史では、観察力が衰弱したかわりに、観察力と無関係な、言葉だけの比喩というのものが猖獗をきわめたと思う。」と。ここでは三島由紀夫を批判している。