ポール・メイソン『ポスト・キャピタリズム』/金融化について

本当は昨日の続きが書きたいのだが、引っ越しの準備のために本を整理していて手がつかず、処分する本を手に取ったら次のような一節が飛び込んできた。

「産業の衰退によって荒廃した英国の街を回ってみると、どの街並みも同じように見える。給料を担保にして金を貸すペイデイローンの店や質屋、家財道具を高い分割払いで売る店などが並んでいる。質屋の隣に、貧困に見舞われた街には欠かせないもう一つの金鉱である口入れ屋*1が目に入るだろう。窓からその中を覗いてみると最低賃金の求人広告が見える。それらが求めているのは最低賃金レベルの技能を超えた人材で、印刷業者、夜勤看護師、配送センターの従業員などだ。以前ならほどほどの給与をもらえた仕事だが、今では法で定められた額ぐらいしかもらえない。別の場所では、照明が届かない暗闇の中で、ゴミをあさっている人たちとすれ違う。食料を無料で供給するフードバンクが教会や慈善団体によって運営されている。市民相談教会は借金で破産した人にアドバイスをするのが主な仕事になった。」

これはポール・メイソン『ポスト・キャピタリズム』からの引用である(54頁)。コロナ禍初期の時にオンライン・インタビューを受けたケイト・ブランシェットの自宅の本棚に同書があることで話題になった*2

新自由主義批判、金融化批判として目新しいものではないが(全部読んでいないのにごめんなさい)、著者がジャーナリストらしく町の風景の描写とともに語られることが目を惹く。日本では、教会や慈善団体によるフードバンクは馴染みがないが、他は似たような光景だろう。イギリスでは、シャッター商店街という言い方はしないのかもしれない。

「本物のビジネスがこうした街路を中心に繁盛していたのはほんの一世代前のことだ。1970年代、英国北西部にある私の故郷の町リーでは、土曜日の朝になると暮らし向きの良い労働者階級の家族が中心街に群がっていた。正規雇用の仕事を持ち、高い賃金を稼ぎ、高い生産性を生み出していた。街角には銀行が軒を連ねていた。ここは仕事と貯蓄とすばらしい社会的連帯からなる世界だったのだ。」

「高金利の販売店、安い労働力、無料の食事ーー今日の町の風景は、新自由主義が何を達成したかを物語っている。所得の停滞を借金で補う仕組みになった。つまり、私たちの生活が金融化された。」(同前)

原書はリーマンショック後の2015年刊行。「新自由主義批判」についてさまざまな議論があることは承知しているがーーたしかになんでも新自由主義批判に帰着されるのはどうかとは思うもののーーやはり金融化について議論が重要な割に日本では議論に乏しい印象だ。

思えば、2000年代の「ファスト風土化」といった議論は、悪い意味で社会学的というか文学的だったけれど、本来「金融化」とともに分析されるべき問題だったのではないだろうか。

そんな中、「現代思想」が一昨年(2023年2月号)に「〈投資〉の時代」という特集を組んでいた。新型NISAを受けての企画かもしれない。実際、巻頭のインタビューでマルクス経済学者・松尾匡は、現在の岸田政権の「資産所得倍増計画」といった政策に触れている。

この政策の「最も表層的なレベルの背景」として、「社会保障を抑えていく」という方針があるという。金利が非常に低い状態にあり、普通に貯金をしても老後の備えとして十分ではない。将来に備えて、各自リスクを取りながら投資をせよ、というわけだ。加えて産業構造の変化もある。企業は賃金の安い東南アジアに生産拠点を移しているため、日本国内では雇用が、貿易できない産業であるサービス業にシフトしていく(観光業!)。サービス業の多くは非正規の低賃金労働だが、海外から安い品物を輸入することで低賃金でも食べていくことができる*3。「つまり、国内では雇用の非正規化を進めながら低賃金でこき使おうという流れがあるのです。これが資本主義の状況に合わせた日本の生き残り策であり、ふさわしい産業構造でもあるという議論がこれまでなれてきた」(10-11頁)と。

松尾は「国内における多くの労働者の所得を伸ばすという考えはそもそも体制側のビジョンには入っていない」とまでいい、流石にそれは穿ち過ぎではないかと思うのだけれども、社会保障を抑えるために「投資」が持ち出されているのは間違いないだろう。資産防衛である*4

メイソンによれば、ブローデルはあらゆる覇権国家の衰退は金融に目を向けたときから始まると論じている。「いずれの資本主義的発展も、金融資本主義の段階に達すると、ある意味で成熟が示唆される。つまり秋の気配が感じられる」(『物質文明・経済・資本主義』*5

金融は実体のあるような、ないようなものだ。ビフォは『蜂起』で金融による非実体化と、マラルメ以降の詩作の抽象化=脱インデックス化を並べて論じていたが、あの本はなんだか詩的すぎてよくわからなかった。

金融を可能にする信用は古代から存在していたものだが、現代の資本主義における金融とは何が違うのだろうか。グレーバーの『負債論』も似た問題意識かもしれない。

最近テレビのワイドショーでは新型NISAを取り上げているらしい。今年の2月22日には経平均株価が1989年の史上最高値の3万8915円を更新し、 3月4日には4万円台になった。ちなみに現在の異常な円安は新型NISAの圧力が一因という説もあるらしい*6

最後にポール・メイソンの著書に戻る。金融と骨がらみとなった私たちの光景は、「秋」というより「冬」だと思うのだが。

「金融が日常生活に入り込んだことで、私たちは機械の前で毎日朝9時から夕方5時まで働く奴隷ではなく、利息の支払いをするための奴隷となった。職場で働いて、上司のために利益を生み出しているわけではなく、借入をして金融仲介業者の利益も生み出しているというわけだ。例えば、公的支援を受けているシングルマザーが仕方なくペイデイローンを利用したり、家庭用品をクレジットカードで買ったりしている場合、安定した仕事を持つ自動車産業の労働者よりも、資本に対して相当高い利益率を生み出していることになる。

 消費するだけで、誰もが金融収益を生むことができれば、そして最貧困層が最も金融収益を作り出すことになれば、労働に対する資本主義の考え方が大きく変化する。(略)金融化と新自由主義とは切ってもきれない関係がある。金融化は不換紙幣のように崩壊をもたらす。しかし、このシステムには欠かせない手段なのである。」

ネットジャーゴンで「養分」という言葉がある。ネットゲームやギャンブルでお金や時間を費やし、運営企業の「養分」となるという意味だ。金融に生をとりこまれて私たちは、まさに資本主義の「養分」である。

*1:おそらくemployment agencyだろう。口入れ屋だと落語みたい。訳語としては職業案内所や人材派遣業の方がいい。

*2:私の妄想かもしれない。自信がない。

*3:本日2024年4月27日は1ドル158円台となった。このまま円安が進めば輸入も厳しくなる。

*4:同インタビューで松尾は「リスクに対する見込みを立てやすい介護事業」やみかんの缶詰を作るような「体制側が国内から追い出してしまった成熟した産業」は、「設備投資のための合意」が取りやすいために、資本主義における私有財産制ではなく協同組合などでも取り組めると話している。「民衆の側が連帯して運動を作ることによって民間企業が現在行っているような投資のありかたをコントロールすることが可能になっていく」。しかし、「リスクに対する見込みが立つ」とはいえそんなにうまく行くのだろうか。介護事業などの運営実態は知らないが、実際にそうなっていいないのには理由があるはずだ。実現しても高価格になるなどの欠点も考えられる。とはいえ、実践例があれば知りたい。

*5:アリギも「金融の秋」について書いていた記憶がある。

*6:

新NISAが招く円安圧力 海外投資加速、円売り2兆円増も 佐藤俊簡 - 日本経済新聞

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